【EGAO7】宮城県石巻市にえがおを届けてきました(8/6)

Posted in: えがおプロジェクト

こども避難所クラブ にじいろクレヨンと協力してえがおを届けてきました。

えがおとどけの代表阿部と、メンバー西岡、佐藤、岩澤の4人で宮城県石巻市でボランティア活動している『にじいろクレヨン』代表の柴田様の協力のもと、石巻市の子どもたちにえがおを届けてきました。

えがおとどけのメンバーは、個別に深夜バスを利用し、8月6日午前6時に仙台駅へと集結しました。
仙台は七夕祭りの真っ最中で、駅周辺は七夕飾りで彩られ、震災の爪あとなど感じられない位に、綺麗で美しい街並みがそこにはありました。
暮らす人々は、学生達がマクドナルドで楽しそうにお喋りをし、サラリーマンが忙しそうに早歩きでどこかへ向かってゆく。
私の目には、仙台がとても平和に見えました。

石巻市へ向かうにあたって、レンタカーを借り、仙台在住の阿部の友人宅にあらかじめ支援物資を送っておいたので、それらを回収してから一路石巻市に向かいました。
石巻への移動は1時間半から2時間位かかります。

支援物資はえがおとどけメンバーの黒山キジ子から支援頂いた文房具、Kotaro Chibaから支援頂いたTシャツ、また義援金でamazonから購入したおもちゃです。

道中、高速道路の補修工事等見かけましたが、他は、山とその間あたり一面に広がる田園風景でした。稲が日光に照らされ、緑が映え、とても美しい光景が広がってました。
夏休みということもあり仙台から石巻市への高速は渋滞がひどく、途中で高速を降りて一般道より石巻市へ向かいました。

高速を降り、石巻周辺へと辿り着くと状況は変わっていきました。

目に入ってきた光景は、グニャグニャと折れ曲がった道路脇の柵、斜めに倒れかけた電柱。
あの、2011年3月11日の惨状が段々と浮き彫りになってきたのです。
田園地帯は大きく陥没し、黄色く変色した泥と水が溜まり、流木や船が転がっていました。驚く私たちに、阿部は「これから先、もっと酷くなるから」と伝えました。

最初に向かったのは、にじいろクレヨン代表の柴田様と待ち合わせていた石巻高校。
ここも体育館等を利用して避難されている方がいました。避難所内部は複数のボードで仕切られており、そこに1世帯が住んでいます。
ピークで400人住んでおり、今は50人が生活しています。
体育館の建物は新築の様に綺麗でした。壁には、来訪した有名人の写真や応援メッセージが貼られています。震災から5ヶ月経過した今も避難所での暮らしを余儀なくされている方がいます。

そうした中子どもたちと面会し、佐藤、西岡が早速遊び相手になっていました。
構成は男の子ばっかりで、何よりも元気。
現地に着いて早々にボール遊びを行い、あっという間に汗だく。
阿部が避難所の代表の方への挨拶が済むと、一回メンバー、子どもたちと体育館に入りました。子どもたちには避難所内で風船あそび等を促しましたが、やはり外で遊びたくてしょうが無いようです。
そして、子供たちに誘われ、私たちは鬼ごっこを行いました。

炎天下の猛暑の中子どもたちが信じられないくらい走り回っていました。
途中で、子供たちに鬼から逃れるいい「隠れ場所」を教えて貰ったり、鬼を撃退するための「武器」である小枝を振り回したり。
やんちゃな坊主ばかりでしたが、子供たちも楽しんでくれたようです。

その後子どもたちに贈り物が届いたらしく、いったん鬼ごっこは中止に。その間メンバーは安堵の中休憩をとらせていただきました。
その際に避難所の方からお昼をごちそうになりました。中でもほうとう(?)はとてもおいしくいただきました。

このときににじいろクレヨンの柴田様と改めて挨拶を交わし、現状などの話を聞き、情報交換させていただきました。

時間の都合上、別の避難所へ移動することになったのですが、石巻高校の子どもたちに好かれたらしく、西岡は残ることになりました。
それでも一度、被災地を訪問するため柴田さん案内のもと、全員で沿岸部の方へ移動しました。

沿岸部に移動して真っ先に変わったのは臭いでした。鼻につく異様な潮臭さ。
そして、目に付くのは、本当に街が存在したのかと思えるほどに開けた土地です。
所々に見えるの崩壊した家屋と、基礎。お墓もめちゃくちゃになってしまっていました。
全て流されてしまったのでしょう。私にはここが日本だとは思えませんでした。
そして、最も印象に残ったのは焼けた小学校です。
当日、ガソリンの引火で小学校へ火が移り、多くの人命が亡くなったそうです。
廃墟と化したその建物を拝見して、先に遊んだ元気な子供達の笑顔を思い浮かべると目頭が熱くなりました。
また沿岸部には、柴田様のご自宅があり、やはり津波に飲み込まれ家の土台以外なにも残っていませんでした。

柴田様はご自宅の横にひまわりの種(有名人の方から頂いたとおっしゃっていました→芽が出たようです!)を植えて育てていました。そのときの柴田様の表情がとても印象的でした。ひまわりが成長し、花が開けば山からそのひまわりを見下ろす事が出来るらしいのです。
柴田様は笑顔で、未来の事、将来の事を語りました。石巻がどうなって欲しいのか。子供達にどうなって欲しいのか。希望が満ち溢れ、そこには悲しみを感じませんでした。
被災者の方々は一歩一歩と乗り越えていってると感じました。

また、まだ構想の域を出ていないようでしたが、この場所を使ったある企画を考えているようでした。
詳細はまだ明かせませんが、にじいろクレヨンのHPで公開できる日が来るのを楽しみにしています。

一通り被災地を廻った後、西岡は約束していた石巻高校へ戻りました。
戻った西岡を子どもたちの歓声が向かえてくれたようです。
しかし、まさかあのようなことになるとは夢にも思わなかったに違いありません。
詳細は西岡のブログでご確認ください。

西岡のブログはこちら

次に仮設住宅でにじいろクレヨンのメンバーが活動しているところへ様子を見に、2カ所廻り、その後に柴田様の仮設住宅があるところへ案内されました。この地区には仮設住宅の一部分を住人が共有で使える談話室という形で提供されています。この談話室のような場所が全ての仮設住宅にあるわけではないそうです。元々住んでいた地区の異なる人達が仮設住宅の抽選によって偶然同じ地区の仮設住宅に住むことになり、これから助けあって新たなコミュニティを作っていくコミュニケーションの場として提供されているものだと思います。
そこにも子どもたちがいて、阿部、佐藤、岩澤と子どもたちで遊ぶことになりました。
こちらの仮設住宅は女の子ばかりでしたが、皆元気がよく、すぐにメンバーとも打ち解けて遊びました。
最初は談話室で風船等で遊んでいたのですが、やはり元気な子どもたちで、外で遊びたいらしくこちらでも鬼ごっこがはじまりました。
車の通りが多く、仮設住宅敷地内で鬼ごっこを行ったのですが、これまたスバシッコイ。
捕まえるのに一苦労、逃げるのに一苦労です。えがおとどけのメンバーはそれこそ必死でした。
年の差最大で30歳くらいあろう子どもたちとの鬼ごっこは熾烈を極めました。
途中では、水鉄砲で水をかけられたり、股間を蹴られたりとても大変。

限界に近づいてきた頃、休憩がありそのまま談話室へ移動。一息入れる間もなく今度は風船あそびです。
先の男の子達にはあまり評判が良くなかった「風船あそび」が、こちらでは大ヒットしました。
風船を膨らましたり、風船を縛ったり、風船で犬やうさぎ、白鳥を作ったり。
私たちも子供たちも風船作りを行っていくうちに、風船作りが段々と上達していきました。
ただ、風船が割れるときは一様にビックリしていました。が、それすらも楽しんでいるようでした。
いつの間にか、集会所は子供たちで作られた風船で一杯になっていました。
疲れ果てた私たちにとって子どもたちの笑い声はとても気持ちのいいもので、気がつくと一緒になって大声で笑っていたり、走り回っていたり、風船を膨らませていたりと本当に元気になれるのです。

以前阿部が言っていました。子どもたちが笑顔になると廻りの大人たちも笑顔になり、元気になれると。
それが復興の元に成り得るのではないかと、改めて思いました。

そうこうしているうちに西岡とわかれて既に3時間以上が経過していたので、阿部が石巻高校へ向かいに行くことになり、仮説住宅に佐藤と岩澤が残り子どもたちと遊んでいました。

5時近くになると子どもたちも帰る時間となり、にじいろクレヨンのメンバーと一緒に片付けをしました。

この後阿部を待つ間に、柴田様の仮設住宅へお邪魔することになり、そこでいろいろとお話を伺うことができました。
柴田様がなぜこのようなボランティアをなさっているのか。また、今後の方針等も伺うことができました。
そこで思ったことはギャップでした。
東京にいると仕事や生活に追われ、震災に遭われた方がどのような生活を強いられているのか忘れてしまいがちになっています。
忘れていないにしてもテレビのニュースでしか報道されていない一部の情報がすべてと思っていたように思いました。
現実はテレビのニュースより厳しく、今回の訪問で見たこともほんの一部でしかないと思います。
まだ普通の生活に戻れていない人が大勢います。

そして大切な事は、今明るい笑顔を見せてくれる子供たちに、明るい未来への橋渡しを出来る役目。
私たちに必要なことは、それを行える、継続的な活動と、付随する経験・ノウハウ。
支援を絶たないための周知活動。
このように、被災地に必要な支援活動は「今を生きるための支援」から「未来のための支援」へ移行していると感じました。

震災後、子どもたちには過酷な環境下で、私たちが想像するより厳しい状況を耐えなくてはならない日々が続く中で、何を考え、何を思い、どう行動してきたのか。
それが知りたいと感じた今回の訪問でした。

子どもたちが大人になったとき、そのこと聞いてみたいと思いました。

子どもたちが私たちを受け入れてくれていることは、有り難く、またよく聞かれていると思いますが、本当に元気を分けてもらえるように思います。
子どもたちの笑顔。最高の贈り物です。
そして子供たちへ素敵な未来を託せる様に、また笑顔を届けにいきたいと思います。

阿部です。私は仙台に宿泊し、次の日、個人的に南三陸町の志津川高校を訪問しました。
南三陸町に初めて訪問したのが5/15。それから約3ヶ月、「片付いてきたなー」という印象を受けました。しかし、片付いたと言ってもまだまだで、あの頃と何も変わっていない場所もあります。
お時間がありましたら、5/15の写真と8/7の写真を見比べてみてください。
2011/05/15@南三陸町 – a set on Flickr http://bit.ly/lIANQn
2011/08/07@南三陸町 – a set on Flickr http://bit.ly/oYzP0F

今回南三陸町を訪問して、避難所の方にfacebookの使い方について質問され、答えたりしていたわけですが、東京に戻るためそろそろ帰ろうと支度をしていると、「日曜日の夕方はみんな帰っちゃうからさ、次来る時まで質問できないから、分からないことがあっても、もやもやしたままになってしまうんだよね。」と仰っていました。彼らは使い慣れないPCやスマートフォンをなんとか使いこなそうと、新しいことにトライしていて、それを助けられる私がいつも近くにいてあげることができない。とても悔しかったです。いつでも電話してくださいと言ったものの、本当は近くにいておしゃべりでもしながら、「そういえば、これ教えてくれない?これどうしたらいいかな?」と言われたときにすぐに相談に乗ってあげることができれば。夕方までは子どもたちと遊び、夕方から就寝までは、その地域の人の相談に乗れるような、そんな活動も今後できたらいいなと思いました。

今回、西岡、佐藤は初めての被災地訪問でした。2人とも初めて見た光景や被災地の子どもたちと触れ合うという初めての経験にとても満足してくれて、「また来たい」と言ってくれました。とても嬉しかったです。


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